私の足歴史 冷え・むくみ・巻き爪・友人のアキレス腱断裂

こんにちは、相田です。

ブログを読んでくださっている方の中には
・ブライトフットに来たことのある人
・過去に通っていた人
・行こうか悩んでいる人
・なぜかたどりついちゃった人、
いろいろな方がいらっしゃると思います。

先日ふと思い出したことがありました。
「私は私の足のことをお客様にあまりはなしたことがなかったなぁ」と。

 

フットケアを仕事にした経緯については今まで何十回と聞かれてきたので、たくさん話した記憶がありました。

でも私自身の足の話って本当に数回…10回も話していないかもしれません。

というわけで聞きたい人がいるのかわかりませんが笑、私の足のお話。^^

子供のころの足の話

私自身、フットケアスペシャリストという仕事をするまで足に困ったことはあまりありませんでした。

しかし、今になって思い返してみると、「自覚がなかっただけだな」と感じるのです。

 

私は子供のころよくスポーツをしていました。

3歳の時に2つ年上の姉とはじめた水泳。
小学校5年生まで続けました。

地域の子供会でやっていたバドミントン。
これは何となく始めたのが確か幼稚園生の時です。

子供会が小学生までなので卒業するまで毎週日曜日練習に行っていました。

そして、学校での部活動はバスケが主でしたが、季節によっては陸上部にもかり出されて同時に行っていました。
バスケは中学生まで続けました。

こうやって見ると3つしかないのですが、習い事として習字を週2回長いことやっていたのでなかなか忙しい小学生だったんだなぁ~と振り返ると思います。

 

この頃足のトラブルを自覚していたかというと…気にした記憶がまるでありません。

母親に指導された覚えもないので、考えたこともないと思います。

 

私は中学生の時に大きな捻挫をしました。

バスケとバドミントンを繰り返して軽い捻挫をしていたものの、体の使い方や靴の履き方を改めなかったので大きな捻挫に至ったのだと思います。

この時のケガのおかげで私は高校生の時女子バスケのマネージャーとして体をケアすることへの興味がわいたので今では感謝エピソードとなっています^^

高校生で自覚がでる

高校生になって今までやっていたスポーツをぱたりとやらなくなりました。

そして履物はローファーでしたし、上履きも今となってはガミガミ言いたくなるほどかかとを踏んずけて歩いていました^^;

このころから徐々に足トラブルへの自覚が出始めます。

 

まず冷えとむくみ。

・運動量が減ったこと
・靴がローファーになりきっと足に合っていなかった
・上履きは…かかとなしにするなんて論外!怒っちゃう!

という状況なので、自分で足トラブルを作っていたと言わざる負えません。

 

その次に巻き爪。

巻き爪は今でもたまに自分で補正することもあります。^^;

巻き爪になった自覚も高校生からでした。

そしてこの頃マネージャーという立場で、選手の巻き爪を見て「なんでこうなるんだろう?」と不思議に思っていましたし、捻挫・突き指が突発的に起こってしまうスポーツなので、緊急の対応についても学びました。

 

アキレス腱を切った選手がいたときは何もしてあげられることがなく、とてもつらかったことを覚えていて今でも涙が出そうになります。

引退までの1年半、副キャプテンという立場でいながら大好きなバスケをただ見るだけになった時、彼女の横にいてなんとも切ない気持ちになりました。

 

彼女とは卒業まで同じクラスだったので、足を使えないことの日常の不便さを学校にいる時には真横で見ていました。

自宅の生活も考えると大変な苦労だったと思います。

 

彼女がアキレス腱を切った時は、ちょうど部活の真っ最中。

試合形式でもなく、激しい運動でもなく、ただ日常のトレーニングをしていた時に起こりました。

 

彼女ががくん、と膝から落ちて立てなくなって、本人も周りも何が起きたのかわからずにきょとんとしていました。

するとどんどん彼女の体が縮こまり、痛みに耐えていることが分かったのです。

あの時の記憶は今でも鮮明に覚えていて、私の中では衝撃の出来事として残っています。

 

ただ事ではないとわかった時に、顧問のもとにダッシュして事情を説明して、先生の車にひっそりと常に積まれていた松葉杖を取り出して体育館に戻りました。

先生が「万が一」を想定していてくれたからこそ、私がいつも目にするところにおいてくれたからこそ、緊急の事態でもあまり慌てることはなかったと思います。

高校生だったのに、よくやったなぁ。といまでは思います。

 

松葉杖を使う彼女の体を支えて先生の車に乗せた後、他の選手のもとへ戻って練習を再開するのですが…

アキレス腱を断裂した彼女はそこから選手として復帰することはありませんでした。

松葉杖がとれても、水たまりを飛び越えることすらドクターストップがかかるような状態になったのです。

彼女の気持ち

その時の彼女の気持ちは高校生の時よりも今の方がより想像ができます。

大好きなバスケができない悲しみが苛立ちへ変わる。
気分も落ち込むし、家族にあたりたくなることもある。

これはケガや病気をしていつもの日常を過ごせなくなった人は経験があることなのかもしれません。

 

活躍が期待されていた彼女は当時、リハビリを真剣に休むことなくしっかり毎日行っていました。

それでも引退までの短期間で復帰をする、ということはかないませんでした。

しかし、あの時の努力があったからこそ、症状の回復は早かったのです。

もう一度バスケをしたい、という気持ちと、普通に生活できないこの現状は嫌だ!という想いこそ、リハビリを頑張れた理由ではないかと思います。

足歴史を通して

私の足は左右差がありすぎて、「将来大変だね」と言われるような足をしています。

骨格からくる問題でもあるので、改善するのはそう簡単ではないことはわかっています。

でもやっぱり最後まで自分の足で歩きたいし、おばあちゃんになっても好きなことをしたいし、家族に迷惑はかけたくない。

きっとそんな風に思う方、多いのではないでしょうか?^^

 

私は私の学んだ知識をたくさんの人へお伝えして、将来の足を今からしっかり守って鍛えていくことを自分でも続けていきます。

自分の体は代わりがありません。
一生使う大切な体です。

健康でいるために、元気でいるために、家族みんなで楽しくすごすために。

自分の体を気遣い何よりも大切に扱うことが健康である秘訣なのだと、たくさんの方に伝えていきたいです^^



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